4 décembre 2017


思い通りに生きるというのは
他人の迷惑をお構いなしにワガママに生きる
ということではありません。

こう生きたいという自分の人生を
他人の意志や期待に左右されずに
自由意志で決めるということです。
簡単なことではないけどね。

この前の『死ぬ瞬間の5つの後悔』でも
1番多かったのが
「自分に正直な人生を生きればよかった」
ということですから、
人間の普遍的な課題なのでしょう。

原文は
I wish I'd had the courage to live a true to myself,
not the life others expected of me. 

他人が期待する人生ではなく 
自分に正直に生きる勇気を持てばよかった
ということ。

私もつい期待に応えようとするタイプです。
そもそも長女というのは何かと期待されるもの。
長女でなくても1人っ子だったり
ちょっと出来がよかったりすると 
親や周囲の期待が集まります。
 
大人に喜ばれると嬉しいから
ますます期待に応えようとしちゃうのですが
その調子で大人になると
やりたくないことまで断れなくなって
とても窮屈なことになります。

私、こう見えても
そういうのを半世紀やっていましたから。
お調子者で何でも引き受けちゃうから尚更。
「展覧会に出したくない」と伯母に言えたのが
50になってからですからね、
道程は遠かった。笑

でも、すごい勇気を出して口に出してみたら
自分が思う程相手は気にしていなくて拍子抜け。
期待を裏切ったら伯母が悲しむと思っていたのは
私が自分の中で作った物語だったのですね。 

そういう思い込みが
自分を不自由にしているということが
きっとたくさんあるのだと思います。

つまり、
本当に不自由なものは自分が作っている。
あなたが不自由に感じていることも
実は自分で作った物語かもしれないのです。

家族がいるからできないと思うのも
夫は忙しいからと家族の時間を諦めるのも
この歳で幸せを求めても無理と思うのも
自分の妄想に縛られているだけかもしれない。

本当は自分の気持ちを表明するだけで
周りはあっさりと理解を示して
応援してくれるかもしれないのに。

母や伯母たちが次々といなくなった後、
私はある種の自由を得た気がしました。
期待される自分を演じる必要がなくなった
自由さというか。

でも本当は元々自由だったのよ。
何でも思うようにすればよかったんだ。
遠慮せずに気持ちを言えばよかったんだ。
やっぱり一番面倒臭いのは自分だわね。




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