23 octobre 2015


「手放す」というのは
言うのは簡単ですが、実行するのは難しい。
執着するのが人間の性だから。

かくいう私も、
人には執着しなくなったものの
モノに対する執着はまだまだ捨てられません。
洋服が捨てられないとか(笑)

まあ、モノへの執着なんて大したことないし
それが原動力になって頑張れることもあるから
必ずしも悪いものではないと思いますが。

でも、人への執着や過去への執着は厄介で
これは人の苦しみの大きな原因になります。
別れた恋人が忘れられないとか
成人した子供にいつまでも依存するとかね。

そっちは手ごわいです。

なぜなら大抵の場合、その人との関係性の中に
自分の価値を見出していて、
その人を失った(と思う)ことでなくすのは
相手の存在ではなく
自分のアイデンティティだからです。

「あれだけしてあげたのに」
という思いも含めて、
自分自身の存在や過去の行いを
価値のないものにしたくないから執着する。
つきつめれば、
そういうことだと思います。

もちろん、恋人や夫、子供など
誰かに愛され必要とされていると実感することで
自分の存在感を確かめたい、と思うのは
自然なことです。

それはとても心地いいことだから。

でも、本当はその人がいなくたって
元々みんな素晴らしい存在なのです。
そこに気付かなければね。

それに、自分がその人のために費やした
愛情や時間やお金は
楽しませてもらった時点でチャラですから、
その話を後から持ち出しても意味がありません。

そんなことより自分に注目する。
自分の存在をとことん信じることができれば
その方がもっと心地いいです。
その絶対的な安心感が心を安定させてくれます。

すると、ある方向性が見えてくるものです。
自分が何処へ向かっているのかのベクトルです。
変えることのできない宿命と
切り開くことのできる運命も見えてきます。

その流れに従っていれば間違いない。

その上で、
幸運にも手に入れたものは大切にする。
でも決して執着はしない。
そして失った時にはパッと手放すのです。
ぽいっとね。

手放すというのは、
そこに注目するのをやめるということです。
「あー、そんなこともあったね」
と言える程度離れた場所にそれを置くこと。

なので、去る者は追わず来るものは拒まず。
孟子はつくづく良いことを言いました。

もし、それが難しければ目を逸らせばいい。
もっと楽しい何かを見つけて
とにかくそこに注目しなければいいのです。
私の場合、一番の助けは妄想力ですね。

世の中には楽しいことがいっぱいあります。
楽しいこと探しをしていたら
1つのことに執着する暇なんてないから、ね。 



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