22 août 2015


なぜ私が自分という存在を信頼しているのか。
それは、私が何でもできる子供だったからです。

友人にも何人か同じタイプがいますが、
何でもできる小学生は
自分の優れている点を知っています。
足が速いことも、
歌が上手なことも、
勉強で困ったことがないことも知っています。
褒められることに慣れています。

だから自己肯定感が強い。

子供を褒めて育てろ、というのが
そういう理由だということがわかります。

そして、これも共通するのですが、
高校生くらいになった時に
何でもできると思っていた自分が
大したことのない人間なのだと気づきます。

「なーんだ、私って案外おバカだったのね」

ここが大きなポイントね。
でも、子供の頃に確立された自己肯定感で
根拠のない自信があるから
自分の存在を疑うことはしません。

とはいっても、
自分の存在を信頼することと
自分に自信があるということは別です。

だから私も
自分がしていることに
いつも自信を持っているわけではありません。

私はもう28年も書と墨絵を続けていますが
書はいつまで経っても自信がない。
小学生時代も入れたら
もう34年もやっているのにです。

墨絵は、今でこそ堂々と
「オーラのある墨絵を描いてます」と言えますが、
(こんな絵を描いてます)
自分が求めているものには届かなくて
なかなか自信を持てませんでした。

自信がなかったのは、
私が長女で、いつも完璧を期待されたきたからです。
元々は自分のものではない価値観に縛られて
それに応えようとしてしまいます。

自分のものではないから苦痛なのですが、
いつの間にか癖になっていて
自分でもつい完璧を求めてしまいます。
それに、期待されていると思うと
NOと言えなくて。
この癖を取り除くのに半世紀かかりました(笑)

でも、
手放してみたらなんと楽なことか!

私の場合、そこから解放されたのは
私に期待をかけていた母や伯母が亡くなったからです。
物理的に解放されたわけです。

完璧じゃない自分を受け入れたら
自分に対する自信が深まりました。

バカボンのパパじゃないけど、
「これでいいのだ」
と腑に落ちたわけです。

だから、子供を育てる時は
「スゴイ!天才じゃないの?」と褒め続け、
後は干渉しないのがいいかもね。



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