octobre 2021

31 octobre 2021


よく「身の丈に合った」といいますが
それがどれくらいかは意外とわからないですね。

少し前に流行ったことで
自分のエネルギーを上げるために
ホテルのラウンジなど
今の自分よりエネルギーの高い場所に身を置く
というのがあったでしょ。

当時はそういうこともあるかなと思っていたけど
今はもう古いって感じがする。
なんだろ、背伸びするのは違うって。

輝いてる誰かに憧れて
その人みたいになりたいと思うのも
なんか違うなぁと思う。
理想を持つことはいいことだけど
まずは自分が何者かを理解しないとね。

どんなに頑張っても
ほかの人にはなれないんだから
自分以外の誰かを目指すことは
あまり意味のないことだと思うのです。

それより、どんな人と付き合うかが大事。
共感できる人、尊敬できる人
刺激を与えてくれる楽しい友だちは
自分の可能性を広げてくれます。

自分の身の丈に合う人といるときって
すごくリラックスしてるでしょ。
でもそうでない相手といるときは
ココロもカラダも緊張します。

緊張していると魂の声が聞こえなくなります。
1番大切なのは魂が何を求めているかを知ること。
そこに沿っていないと本当に満たされることはなくて
いつまでも何かを探し続けることになります。

仕事でも何でも
最高のパフォーマンスができるのは
リラックスしているときです。
そういう状態が続いているときに
自分の限界を超える何かがやってくるんだな。

で、自分の限界を超えると
自動的に新しい人間関係が生まれる。
その人たちが更に新しい可能性を
運んできてくれるのです。

なので自分らしくいれば
自然と良い循環が生まれるってこと。
つまり身の丈に合った場所は
リラックスできる場所ってこと。

                                   

なーんだ、このままでいいんだ。



30 octobre 2021


年を重ねて一番進歩したのは
余計なプライドがなくなったことです。
プライドってホント邪魔よね。

たとえば仕事の場面で
「ここ、ちょっと違う表現に替えてくれますか」
と言われたら、若い頃なら「はあ?」って
食ってかかってたところだけど
今は「はーい」って素直に直します。

要らぬプライドを振りかざすより
無駄な軋轢を避ける知恵がついたよね。
若い頃って何かと生意気だったし
否定されることに弱かったからなぁ。
 
でも、思春期の頃の娘に人格を全否定され、
その時はズタズタになりましたけど
お陰で余計なものが削ぎ落とされました。

いつも完璧を目指してたけど
全然完璧じゃないんだってわかった。
私って結構大バカだなって。
それですっかりリセットされました。              

大人になるということは 
自分が取るに足りない人間だと認められること。
大したものではないのだと笑い飛ばせること。 
すべてはそこから始まるんだなぁ。 

ひと皮むけてすっかり丸くなった今は
余程変なことを言われない限り
どなた様のご要望にもお応えしています。
「そうよね。そっちの方がいいよね」
と素直に思えます。

要らぬプライドがなくなると
色んなことがとっても楽になります。
戦う必要がなくなるから素直になれる。 
そう。素直じゃなかったもん、私。

中心がずれてたんだね。他人軸ってやつ。             
必要なのはプライドじゃなくて
自分の存在に対する揺るぎない信頼です。

それがわかったから 
今はすべての人が素晴らしく見えるよ。

                                   

その方がずっと楽に生きられるよね。

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29 octobre 2021


今度の日曜日は衆議院選挙ですね。
私は今日か明日、期日前投票をするつもりです。
当日投票に行けないからではなく、
期日前投票の会場の方が便利だから。

さて、九星気学のある女性が
なかなか良いことを言ってました。
「投票することは、
   未来に自分のエネルギーを乗せること」

その選挙に
1票として自分のエネルギーを乗せた未来と
乗せていない未来とでは
受けられるエネルギーに違いがあるよねって。
本当にそう。すべてはエネルギーだからね。

「誰に投票していいかわからない」
という人も多いと思うし
私もまだ迷っていますが、
わからないながらも自分なりに考え
「こうしよう!」という"気"を乗せることで
未来のエネルギーに乗ることができます。

九星気学でいうと
この10月は六白金星の年の六白金星の月。
六白金星は「政治」の意味があるんだけど
年と月が重なるのは81分の1の確率。
今回の選挙は政治を動かす絶好のタイミングなの。

なので衆院選は九星気学的にも
「絶対逃しちゃダメなやつ!」
なんだって。

私は世の中を良くしたいので
毎回必ず投票に行きますが
投票率の低さには毎度落胆させられます。
194の国と地域の中で日本は139位なのよ。
酷すぎない?

私は普段チャラチャラしていても
投票を棄権したことは1度もなくて
日本の未来を真面目に考えています。
でもどんなに真剣に考えていても
私の1票ではなかなか世の中を動かせない。

なのでみんなの1票も無駄にしないでほしい。
自分たちの未来は自分たちの手で
つかんでいくものです。
選挙はその大いなるチャンス。
なのでぜひとも投票に行きましょう。

九星気学的には今回の選挙
「開運」という意味でも
乗っておいた方がいいらしいからさ!
 

                                   

そうだ選挙、行こう。



28 octobre 2021


子どもの頃、突然大金持ちのおじさまが現れて
素敵なお屋敷のお嬢様になれたらいいなぁ
なんて憧れたことはありませんか?
私はそんなことをしょっちゅう思ってた。

孤児院の女の子にお金持ちのおじさまが現れたり
裕福な少女が両親の死で孤児になったり
女の子が仲間と冒険をしたりといった
少女が主人公の様々な本を読んだ影響で
単純にそんなことを夢見ていたのです。

私が子どもの頃は日本がまだ貧しくて
周りに優雅なものはなかったから余計に憧れたよね。
その代わり、東京にも空き地がたくさんあって
舗装されていない道路や空き地で
暗くなるまで遊んでいました。
思えば幸せな子ども時代だった。

高い所から飛び降りて
着地の時に一瞬息ができなくなったり、
空き地に捨てられていたベットで遊んで
スプリングに指を挟んで怪我したり、
ドブ川を飛び越える競争をしたり、
危ないことも結構していました。

そんなお転婆ぶりを発揮する一方で
お嬢様に憧れもしたわけです。

先月取材記事を書いた
パーソナルファッションディレクターの女性は
小学5年生からの2年間をパリで過ごし
「世の中の一流は全て見るべし」
というお父様の方針で
子どもながらロングドレスの正装でオペラ座に行き
何度もオペラを観たのだそうです。

そんなのを聞いちゃうと
その経験を自分に置き換えて
一瞬にして空想の世界に入ってしまいます。
ロングドレスでオペラを観ている小学生の私♡
そんな経験をしたら私の感性はどう変わってたのかな。

実際の私がその年齢の時は
毎日暗くなるまで缶蹴りをしていました。
あと暇さえあれば少女漫画を描いてた。
あの頃は漫画家になる予定だったのよ。

でもきっと、どんな経験をしても
この魂を持つ自分である限り
大して変わらない私だったのだろうと思う。 
だから、もし子どもの頃に戻ったとしても
きっとまた同じことを繰り返すんだろうね。
 

                                   

どの時代の自分も楽しかったよ。



27 octobre 2021


私はいつもどこか冷めていて
すごく夢中になっている時でも
その自分をもう1人の自分が見ています。

主体であると同時に客体。 
なので心に支配されて魂が見えなくなる
ということはないんです。 

その、心と魂の境目にある部分を 
陰陽学では中庸と呼ぶそうです。 
陰でもなく陽でもない部分。
調和の取れた何かです。

主体の私が映画の中の人物だとすると
中庸は映画を映し出すスクリーンのようなもの。
そのスクリーンを客体の私が観ています。
スクリーンはどんな映画だって写せます。
監督も脚本も主演も自分の映画です。

私の身に起こっていることは
自分のことであると同時に他人事です。
中庸というスクリーンがクッションになってるから
私の中心がぶれることはないのです。 

私は仕事に燃えたり、絵に夢中になったり 
時には恋愛にうつつを抜かして生きています。 
それはリアルに楽しくてハッピーで 
私のハートはドキドキしたりワクワクしたり 
退屈している暇はありません。 

でもどんなに夢中になっていても
その中に頭までどっぷりと浸かりきっている 
というわけではないんです。  
一歩引いてるからムキになったりはしない。
心までは持って行かれないのよね。
    
そもそもが熱くなれない性格なのでね。
芸能人に夢中になったことはないし
子どもの部活やお稽古事に自分の時間を使う
熱心な親御さんも不思議で仕方なかった。
そういうこと、私にはできないのよ。
 
昔は、自分は情が薄いのかと
思ったこともあるけど
今は、だからこそいつも平常心でいられて
物事を客観視できるのだと思っています。 

怒りや悲しみはもう殆ど感じないし
執着もなくなったよね。
今日死んでも悔いはないとずっと思ってるから
命にも執着はないしね。

なーんて言っておきながら
いざ病気になったら大騒ぎしたりしてね。笑

50代後半の誕生日を迎えた友だちが
残りの命は人のために使うと言ってたけど
私ももう自分のミッションは完了した気もするし
同じような境地に近づいてる感じがするな。
 

                                   

でもエネルギーは余ってますから。

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26 octobre 2021


先週だったかな、揺れましたよね。
我が家では震度2という感じだったけど
結構長く揺れてたでしょ。

その前にも東京で震度5のところがあって
その時も結構長く揺れていました。
この揺れ方が、なんか嫌な感じするよのね。

ドラマ「日本沈没」なんか観てるもんだから
すっかり影響を受けちゃって
ズルッとスロースリップしたんじゃないか
なんて連想したりしてね。
この前の震源が東海道南方沖というのもねえ。

この前阿蘇山が噴火しましたが
3.11でプレートが開放されて以来
圧迫されていたマグマが上昇傾向にあると
火山学者が言っていました。
地球クンは忙しいなぁ。

木更津市のホームページを見ると
房総半島沖では数年毎にスロースリップしていて
その度に地震活動が活発になっているらしい。
2018年以降は観測されてないみたいだけど
私はどうしてもこの海域が気になるのよ。。

しかし、待ち構えていると来ないものですねw
今なら色々揃っているから大丈夫と思うけど
災害は忘れた頃にやってくるのよね。
今は全然気が緩んでいて警戒感がないので
このまま暫くはいくであろうと思います。

いつの頃からか、
海外ドラマの新シリーズが○月○日スタート
という番宣を見る度に
その時はまだ大丈夫だろうか、
と思うようになったけど
どのドラマも全部観れてるから
来月始まるドラマも大丈夫だな、きっと。
 

                                   

最近鈍いから予知はダメかな。

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25 octobre 2021


自宅の墨絵クラスの生徒2人は
生徒というより友だちなんだけど
2人ともとてもお洒落です。

1人は長い間アパレルの仕事をした後
専門学校でファッションを教えていたので
センスがとても斬新。
もう1人はキレイ目路線でこちらもセンス抜群。
この2人とのお洒落情報の交換は大事です。

アパレルに長くいた彼女は、
展覧会初日に私が着ていた上等なワンピースを
一目見て「すごくいい生地!仕立てもいい」
と見抜く流石の審美眼。
ごくごくシンプルな無地のワンピースなのに
「久々にちゃんとした服を見た」って。
 
今はプチプラでデザインの良い服があって
お洒落の幅が広がりましたね。
私も大いに活用していますが
大抵はその年かせいぜい翌年までで
一時期着倒しておしまい、という感じ。

それに対して、クローゼットにある
30年前の山本耀司のスカートやワンピは
素材がいいから今でも着られるし
ちっとも古臭くないのです。

展覧会に着ていたワンピースは
「捨てる服はもういらない」
と掲げて服作りをしているデザイナー
ミカコ ナカムラのもの。
優れたクチュール技術を持つアトリエで
1点ずつ丁寧に作られています。

ずっと着られる仕立ての良い服が欲しい
と思っていたところ
たまたまGINZA SIXのセールで見かけて
えいやっと購入したんだけど
実はミカコ ナカムラって知らなかったんだ。

普段に着るならプチプラで十分なんだけど
いざという時に着る物は素材が物を言います。
安いものはやっぱり生地がね。。
でもニットは良いものでも毛玉になるから
プチプラでいいって気もするな。

どんなブランドがいいか
お洒落な友だちに聞いたりしながら
おしゃべりする時間は貴重です。
ファッションってホント、楽しいよね。
 

                                   

お洒落談義は尽きることがない。

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24 octobre 2021


コロナ以降、ニュースなどで頻繁に目にする
「まん延」「ひっ迫」などの交ぜ書き。
ずっと気持ち悪いと思っているんです。
昨日の記事のタイトルも
ニュースなら「はく奪」となる。

「蔓延」「逼迫」「剥奪」で何が悪い
と思っちゃうんだけど
どうやら「常用漢字」と「常用外漢字」を
交ぜないというルールがあるらしいのです。
でも、そんなルールくだらないと思わない?

漢字はそれ自体に意味があります。
ひらがなにしちゃったら
言葉の意味がわからなくなります。

「蔓延」の蔓は「つる」ですね。
蔓性の植物のようにはびこって広がるから
蔓延なわけです。
「逼迫」の逼には、逃げ場がなくなるように
追い詰めるといった意味がある。
「剥奪」だって、「はぎとって」「うばう」
と書くから無理に奪われたのがわかる。

交ぜ書きは本当にたくさんあって
拉致→ら致、爬虫類→は虫類、隠蔽→隠ぺい
漏洩→漏えい、改竄→改ざん など。

また常用漢字ではないため
全部をひらがな表記にしているものもあります。
石鹸→せっけん、斡旋→あっせん
澱粉→でんぷん など。
澱粉なんて、ジャガイモの実験をしたことがあれば
沈澱するから澱粉なんだと感覚でわかるよね。

こういう言葉をひらがなで覚えたら
意味が曖昧になります。
日本語の感覚は確実に劣化します。

これは文化の保護の問題だと思うんです。
このままでは漢字を読む力が下がり
国語力がますます下がります。
国語力はすべての教科に必要な能力です。

ホント、交ぜ書きの問題は
何とかしてほしいと思うのよ。
このままでは日本文化は滅びるよねえ。
 

                                   

漢字を読めないと本が読めなくなる。



23 octobre 2021


先日ノーベル物理学賞を受賞した
米プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎先生。
「日本人のノーベル賞受賞者は28人目」 
とマスコミは得意気に報道しました。

首相も会見で
「人類に大きな貢献をされたということで
日本人として大変誇らしく思っている」
と祝福の言葉を述べましたが、
真鍋先生はアメリカ国籍を持つアメリカ人です。 
日本人じゃないのよねー。

というのも日本の法律では、
成人した日本人が外国籍を取得すると
自動的に日本国籍を喪失するから。
真鍋先生もアメリカで研究するために
米国籍を取得して日本国籍を失ってるのです。

グローバル化の中、
海外で業務を展開する会社や個人が増えました。 
国によっては代表者が自国籍を持たないと
入札に参加できないなどの制約があり
止むを得ず外国籍を取得するケースもあります。
すると日本国籍がなくなります。

日本国籍を失うと
親が付けてくれた漢字の氏名も失われます。
で、名前はカタカナ表記になっちゃうのね。
なので真鍋先生は正しくはシュクロウ マナベ。
名前から漢字を取ったら
なんだか魂を抜かれるような気がするよねえ。

自覚なしに日本国籍を失った人が
ある時パスポートを更新しようとして
はじめて日本国籍がないことに気づいた例も。
意思確認なしに国籍を失った人が
集団訴訟を起こしたこともありますが
法律がそうなっているから当然敗訴。

メディアも「国籍剥奪条項違憲訴訟」について
度々取り上げていますが
国民自身の理解も得られないようで、
「外国籍を取得しておきながら
  日本国籍も維持するなんてズルイ」
なんてコメントが大量に来るのだそうです。
いいじゃないね、二重国籍。

その代わり、例えばアメリカは
海外に住んで海外で稼いだお金にも
アメリカの税金がかかるので
二重に税金を払う必要があるなどデメリットもある。
それは自己責任だから仕方ないね。

それはともかく、
日本国籍とともに漢字の名前を喪失した
米国籍のシュクロウ マナベ先生を
「日本人の誇り」と称賛するなんて
虫がいいというか、ピントがずれている。
なんか恥ずかしいなぁと思うのよ。
 

                                   

日本人って何だろう。

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22 octobre 2021


美意識や舌の感覚などの感性は
育った環境によって育まれる部分が大きいと
つくづく思うこの頃。

最近ある友人の息子さんが婚約して
彼女のご実家でお祝いをしたそうです。
おもてなしをしたのはお母様なのですが、
ご実家のインテリアも優雅で素晴らしいし
テーブルコーディネートもお料理も完璧なの。

お母様の年齢は定かではないけど、多分80代。
その美意識は娘である友人にも受け継がれていて
彼女のお宅も何もかもが素敵です。
「お料理は母の方が上」と彼女は言うけど
彼女のスイーツを見れば上手なことは想像できる。

そういう友だちが何人かいるのですが
「育ちの良さ」を感じさせる源は
当たり前だけど育った家の中にあります。
そしてこれも共通点のひとつなんだけど
親の仕事の関係で海外経験をしてることも多い。

育ちがいいと感じさせることの1つに
「落ち着き」とか「ゆったり」など
急いでいない感じがあるのかなぁと思います。
私なんか娘にいつも「落ち着きがない」
って言われるからねえ。笑

私は全然育ちが良くないのですが
母が口癖のように言っていたのが
「教養を身につけろ」ということでした。
なので小さい頃から色んなお稽古事をしたよね。
「英才教育」という言葉が流行った時代です。

母はよく美術館に連れて行ってくれたけど 
洋服のセンスは本当に酷かった。
色んな面で影響を受けた伯母は
書や墨絵の才能はあったし
洋服のセンスは良かったけど
器のセンスは特になかったしなぁ。。

なので総合的な私のセンスが
どこから来たのか自分でもよくわかりません。
誰にも教えられなくても
最初から持っている感性もあるよね。

でもさ、優雅な友人たちを見てると
「育ちの良さ」っていいなぁと
素直に思うのよね。
 

                                   
母は器使いはともかくお料理は上手だった。