décembre 2017

31 décembre 2017


大晦日。
近所の琴平神社に今年のお札を納めに行きました。
夜になるとたくさんの人出で賑わう神社も
午前中はまだしーんとしています。

鳥居に取り付けられた真新しい注連縄。
清々しいなぁ。 
階段を上がって本殿へ。
茅の輪をくぐり禊をしてお参りします。

二拝二拍手一拝。
今年もいい年でした。
ありがとうございました。

大晦日の境内はきれいに掃き清められて
明らかに違う空気。
誰もいない神社って気持ちいいなぁ。

その後、お正月の買い物をしに東急へ。
当たり前だけどすごい人で
お店の中はいつもと違う活気があります。
この感じ、好きだわぁ。

毎年無計画に買い物をするので
つい余計なものを買ってしまいます。
今年こそはと思ったけど
やっぱり買い過ぎてしまった。。。

買い物客やお店の人の勢いに
飲まれちゃうんだろうね。
いつもこうなっちゃうんだ。

お店が休みなのは元旦だけだし
近所のスーパーは元旦から営業しているのに
3日分の食糧を調達しなくてはという
気持ちになっちゃうのよ。

でもそれも大晦日のお楽しみ。
昨日と変わらない今日なのに
なんか違うこの特別感。
「お正月が来る!」という高揚感。

午前中はパラパラと雨も降ったのに
夕方には美しい夕焼けが現れて
新しい年を迎える準備が整いました。
元旦って不思議と晴れる確率が高いよね。

そんな風に2017年が過ぎていきます。
今年も楽しかった。
来年もまたいいことがいっぱいあるね。

1年間拙ブログを読んでくださった皆様
どうもありがとうございました。
皆様も良いお年をお迎えくださいね。



30 décembre 2017


独身女子が3人集まると
最年少が40代であっても恋バナになります。
これがめっちゃ楽しい。

若い頃は恋愛は若者のものだと思っていたけど
人はいくつになっても出会いを求めるもの。
それは、カップルでいることが
動物として自然な姿だからです。

もちろん、1人でいることが
悪いというわけではないですよ。
でもパートナーがいると生活が潤う。
そういうものです。

私も毎度迷走しておりますが
それもこれも最終的に人生のパートナーを
手に入れたいと思うからです。
いざという時に頼りになる相手ね。

で、出会うだけなら簡単なんだけど、
自分の感覚にぴったり合った人は
そう簡単には見つからないのね。

私の場合は、ハニーと私の関係性が
実際の関係以上に強いのだということが
四柱推命でわかりました。
バイオリズムの波がまったく同じなの。

だからきっと何か決定的なことがなければ
このままいっちゃうのかもしれないね。
まあ、それならそれでいいけど。

愛するのと愛されるのと
どっちがいいかってよく言われるけど
私は、自分が誰かを愛しているときの方が
シアワセを感じます。

もちろん恋愛は双方向で
愛されてると思うとハッピーだけど
片想いでもシアワセを感じることができるのは
「この人が好き」と思ったときに
自分の中から愛があふれ出すから。
その状態が麻薬みたいに自分を酔わせるからです。

お姫様タイプでチヤホヤされたい人は
「好きだよ」と言われているだけで
シアワセなのかもしれないけど、
人から与えられるものはコントロール不可能。

その点、自家発電は自分次第なので
相手の気持ちに関係なくシアワセでいられます。
で、自分がシアワセで愛にあふれていると
自然と愛される存在になるのね。
なので、順番としてはその方が
色々と上手くいくのです。

誰かにシアワセにして欲しいと思っているうちは
なかなかシアワセをつかめないです。
自分をシアワセにできるものは
最終的には自分の心の中にしかないから。

そして、コレと思う人を見つけたら
自分から行動を起こさなくてはダメです。
待っていたのでは何も起きないからね。

というわけで
今年シアワセだった人もそうでない人も
1年の終わりはご機嫌で過ごしましょう。



29 décembre 2017

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昨日娘からメールが来ました。
「注連飾りを飾っちゃいけないのって
  何日だっけ?」
その直後に友だちからもLINEが来て
「29日と31日に飾っちゃいけないんだね。
  知らなかった」

意外と知らない人が多いのかもしれないね。
私は子供のころから耳にタコができるほど
言い聞かされていたので28日に飾ります。

29日は「二重苦」に通じるから、
また31日は葬儀と同じ「一夜飾り」に通じるので
どちらも縁起が悪いとされているんですね。

28日を外すと30日になるけど
これも旧暦の大晦日に当たるので良くないらしい。
で、何がなんでも28日に飾ろうと思うのですが
仕事をしているとこれが結構大変です。

だって仕事納めって28日のことが多いでしょ。
普段より早目に終わるとはいえ慌ただしい。
注連飾りだけでなく鏡餅もお花も
用意しなくてはなりませんからね。

今年は26日に注連飾りを調達して
昨日の朝玄関に飾ってから出勤しました。
鏡餅とお花は帰りに買って帰って
明るいうちにすべて済ませることができたよ。

でも、お餅の上に乗せる橙がデカイ。
ちっちゃいミカンもあったけど
やっぱ橙よね、なんて思ったら
大き過ぎてかっこ悪いわ。。。

注連縄は神の領域と現世を隔てる結界です。
ここは神聖な場所です、という印ね。
その由来は、天照大神が天の岩戸から出た際に
再び天の岩戸に入らないよう
注連縄で戸を塞いだという日本神話にあります。
「しめ」とは神様の占める場所という意味。

注連飾りは注連縄に縁起物を付けたものです。
神社が注連縄を張り巡らせるのと同じ意味で
自分の家が年神様をお迎えするのに相応しい
神聖で清らかな場所ですよ
ということを示しているんです。

また、一戸建てなら門松も飾りますが
常緑の葉は神様の依り代です。
それを目指して神様が降りてきてくださるのね。

年末になるとコンビニでも
玄関飾りが売られているけど
本来の意味を考えたら注連縄に縁起物が付いた
きちんとしたお飾りでなければ
意味がないということになります。

まあ、形だけでもいいんだけどさ、
私は伝統的な注連飾りでないと
お正月が来ない気がするんです。
なのでここだけは押さえたいの。

壁の絵も富士山に替えたし
小布施で買ってきた藁で編んだ亀も飾って
家の中はすっかりお正月の雰囲気になりました。
お正月迎えの準備、大好きなんだ。



28 décembre 2017


「ウチでフランス映画を観ない?」
クリスマスイブに誘われたのをお断りした後も 
ポールとのメールは続いています。

私たちは3回しかデートしてないけど
ポールは既に私を "彼女" と思っているらしく
親しげなメールをくれます。
ですが、どうも予定が合わなくて
なかなか会うことができないんだな。

彼にはお嬢さんとの生活があるので
アフター5にデートすることはありません。
夕食は彼が作って食べさせているのでね。
必然的に土日ということになりますが
それもお嬢さんの予定次第です。

彼が空いている日は私に用事があったり
その逆だったり。
タイミングが合わないというのは
ひとつのサインなのよねえ。

今年はもう会うチャンスがありませんが
年が明けたら彼はインドに出張だそうで、
その帰ってきた日に会おうって。
お嬢さんがママのところに行ってるから
ディナーのあと家で映画を観ようって。
うーん、どうしようかなぁ。

一応OKしたけど、
急に病気になっちゃうかもしれない。

私、特殊能力がありまして、 
誰かと一緒にいるとその人に
自動的にチューニングされちゃうんです。
話を合わせるとか
調子を合わせるというのとは全然違う。
私の周波数が相手に寄り添っちゃうんです。

なのでその時は相手も私も心地良いのですが
かといって相性が良いというのとは違う。
ポールはいい人なんだけど、
なんというか、彼に男性を感じないのです。

私、やっぱり何でも大きい人が好きなんです。
身長も目も声も。。。
なんかね、おかしな例えですけど
大型犬と小型犬みたいな感じがする。

私は数年前まで黒ラブを飼っていました。
物心ついたときからずっと犬と付き合っていたけど
大型犬を飼ったのはそれが初めてでした。

大型犬って、存在感が圧倒的に違うの。
抱きついたときの安心感とかね。
ポメラニアンやケアンテリアも飼ってたけど
小型犬は可愛いけど頼りにはならないです。
もう全然別物って感じ。

アレックス(黒ラブ)を飼うまでは
小型犬も中型犬も同じ犬だと思ってたけど
一度大型犬の存在感を知ってしまうとね、
もう二度と小さい犬には戻れない。
それほど違うんですね。

なんかそれに似ているの。
私はずっと「イケメン・長身・フランス人」
をイメージしていました。
ダーリンやハニーみたいなスケール感に慣れると
もう元には戻れないって感じがする。

ポールは職場のすぐ側に住んでいます。
東京タワーが見えるような場所なんだけど
部屋は6畳のワンルームなんだって。
そこに娘さんと2人で住んでるのね。
そのスケール感もちょっと...ね。

「それ、無理でしょ」
友だちに言われました。
やっぱりそうかなぁ。


                                                    
お見合いはなかなか上手くいかないね。
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27 décembre 2017


無理やり何かを動かそうとして
結局上手くいかなかった
という経験はありませんか?
何かをしようとするのに
どうしても別のものに引っ張られてしまうとか。

私は何度かそういうことがあります。
「何か違う」と違和感があったりするんだけど
それでも進もうとしちゃう。

そういう時って、
まさしく河の流れに逆らって泳いでいる感じで
泳いでも泳いでも前に進まないんです。

終いに泳ぎ疲れて体の力を抜きますね。
もういいやって降参しちゃう。サレンダー。
すると行くべきところにすっと辿り着く。
あれ?こっちだったのかって、
その時に気づくんです。

そんなことが何度もあって
私は流れに身を任せるということを学びました。
最近よく言われる「自分を明け渡す」というやつ。
方向性が間違っていると上手くいかないのね。

自分の流れって、
運命のバイオリズムみたいなものです。
その流れをちゃんと知っていれば
生きるのはとても楽だし
努力のし甲斐があるというもの。

今取り掛かっているものが
何の障害もなく
自然と助けてくれる人が現れて
順風満帆に進むのであれば
それはあなたの流れに合っているのです。

でもさ、何かに夢中で取り組んでいるときって
集中するあまり判断が鈍ったりするのよねえ。 
サインがあっても気づかなったりね。
だから時々立ち止まって
「合ってるかな」って確かめる必要がある。

本当に立ち止まるだけでいいのです。
立ち止まって周りを見回す。
自分を取り巻く環境を観察する。
それだけでも色んなことがわかります。
私もずっとそうやって生きてきました。

ところがですね、、、

私は去年からずっと
ある事を進めようと思っているんだけど
神様が今の仕事の収入を倍にしてくれちゃって
おまけにこの仕事が結構面白いものだから 
一向にその準備が進まないんです。

満足してるんだから敢えて変える必要もないし 
今は多分私の力が会社の役に立つ時期で
それが私の役目なんだろうとは思うのです。

でも将来的には時間にも場所にもとらわれない
自由な働き方をしたいと思っているので
どこかの段階ではちゃんと取り組まなくては
ならないのね。

でさ、たまたま知り合った占い学院の院長に
ちょっと観てもらおうと思っているわけ。
私のバイオリズムを。

私は今までその手のものを
ちゃんと観てもらったことがないんです。
お遊び程度の手相とかならあるけど。

その人は、四柱推命、気学、風水、タロットを
主に使い、補助的に手相も観るらしい。
都立高校出身ってとこに親近感を感じたんだけど
中大法学部法律科卒なんだって。
なんで占い師なんかになったんだろう。笑

そんな彼の取材も兼ねて
今年の最後に人生最初の本気の占いに
行ってみようと思っています。
結果はまたいずれ。

                                                    
大体わかってはいるけど、確認ね。
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26 décembre 2017


人の一生って1色じゃないですね。
その時々で色んな自分に変身します。
私もこれまでに色んな自分を経験しました。

たった1人の人と長い間恋愛していた私、
結婚して子育てを楽しんでいた私、
完璧な主婦を目指して
お料理にも器にもインテリアにも凝っていた私。

いつか自分のギャラリーを作りたいと
色んなものをコレクションしていた私、
黒船来航で一気にフランスかぶれになった私、
離婚して恋多き女に変身した私。

わぁ、結構バラエティに富んでるわね。
そして後に行くに連れて華やかになっている。 
四柱推命で大器晩成って言われたしね。
何の大器だかわかんないけど。笑 

こうして振り返ってみると
どの時代が1番良かったというのはなくて 
どれも皆素敵だったと思うのです。
人生って本当に楽しいわぁ。

もちろん、辛いことや嫌なこともあったけど
そういうのって不思議と忘れちゃうよね。

お正月が近づくと、
家族で過ごした時間を思い出したりもします。
「ああ、賑やかで楽しかったな」って。
でも映画を観た後の感覚みたいで客観的なの。
昨日観た「マトリックス」と変わらない。

過ぎ去ったことというのは
そんな風に別の部屋に入ってしまう感じです。
扉を開ければいつでも訪ねることはできるけど
今を味わうのに忙しいから
その時間はもっと後に取っておくことにします。

大事なのはやっぱり "今" なのだと思う。
幸せを実感できるのはこの瞬間だけだから。

瞬間瞬間を「シアワセ!」と思っていたら
その先の人生も良いものになるんだろうね。
心配なんて何もないんだから
未来のことを考える必要もないのよ。
人間って黙ってたってどんどん進化するからね。



25 décembre 2017

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私は着物が大好きです。 
でも、なかなか着る機会がないのが悩みのタネ。
今年は、お正月に1回、
クリスマス茶会で1回の2回だけだったけど  
たまに着物を着るとね、気分が上がります。

私の着物のテーマは "お茶目" であること。
余程きちんとした場所でない限り
このテーマでいきます。
しっとりと女らしい感じは柄じゃないので
カジュアルな紬ばっかり。
私の着物は多分洋服感覚なんだ。

着物の面白さは何といっても小物にあります。
着ない人にはピンと来ないかもしれないけど
帯揚げ、帯締め、帯留め、帯飾りと
個性を発揮するポイントが色々あるんです。

季節を装うという意味では
洋服とは比べものにならないほど。
そして、その人らしさを表現できるのも
洋服以上だと思います。

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で、こんな帯留めがモノを言うワケ。
可愛いでしょ?
この前のクリスマス茶会には
スパンコールでできたクリスマスツリーの
ブローチを帯留めに使いました。

「本日のテーマ」は帯回りで主張するのです。
そう、着物のお洒落にはテーマが必要なんだな。
その人のセンスも、表現したいことも
帯回りを見ればわかります。
そしてお互いにそれを褒め合ったりするわけよ。

そんな楽しい着物ですから
もっとたくさんの人に着てほしいと思うの。
日本の民族衣装だしね。

とはいえ、きものは敷居が高い。
第一にお値段が高い、着付けができない、 
畳めない、動きにくい、仕舞う場所がない etc.

私も実際に着るようになるまでは
そんな印象を持っていました。
着始めたのはここ10年くらいだもん。
でも無料の着付け教室でちょっと習ったら
意外と簡単に着られるようになったし、
着てみれば動きにくさも全然気になりません。

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呉服屋さんで新しい反物から作ったら 
何十万もかかってしまいますが 
古着屋さんで上手に探せば 
新品同様のものがセーター1枚の値段で買えます。
一番上の黒い小紋なんてヤフオクで6500円だった。

最近お気に入りのお店が 
銀座アンティークモールの中にある "SUZUKI"。
店主の桃ちゃんがなかなか面白い人物でね、 
アメリカやヨーロッパのビンテージから作った
オリジナルの帯留めや帯飾りが素敵なの。

センスのいい古着の着物や帯もあります。
上の着物も彼女の店で調達したもの。
2つ合わせてもワンピース1枚分です。

というわけで、
お正月くらいは着物を着ましょう。
着物を着ると気分が上がる、オンナが上がる。
モテモテになっちゃうかもよ。

                                                    
着物は世界一美しい民族衣装だから。
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24 décembre 2017


自分のエネルギーを意識している人は
そうはいないのかもしれません。
私も常に意識しているわけではないけど
自然と感じてしまうからねえ。

私は自分のエネルギーが
強いことを自覚しているので
セーブすることの方が多いです。
バルブを閉めて相手の状態に合わせる。

周波数が合えば心地いいですから
相手は安心して心を開いてくれます。
これが営業で役に立ちます。

子供の頃はそんなこと意識しないから
ありのままのエネルギーでいきますね、
すると相手を圧倒してしまうことがある。
影響を受けるより与えてしまうタイプ。
良くも悪くもね。

なので私はできるだけ
ニュートラルな状態でいるように
心がけて生活しています。

自分が相手や場に与える影響を
自覚することは大事です。
友だち同士でも仕事仲間でも
その辺のバランス取れていないと
なにかとややこしいことになります。

うんと仲の良い友だちは
大体似たようなエネルギー状態なので
特に意識する必要はないけど
さほど親しくない相手の場合は
気を付けなければなりません。

仲の良かった人が突然去って行った
なんていう時は、
エネルギーが釣り合っていないのが
原因だったりします。

太陽みたいに強烈なエネルギーの人が
それで悩んでいた。
彼女はとても友だち思いなのに、
親しかった人が次々と離れていくことに
ショックを受けていました。

彼女は理由がわからないと言ってたけど
私にはわかりました。
あまりにもエネルギーの釣り合いが
取れていなかったのです。
彼女の強さに圧倒されて疲れてしまったのね。

いい人とか悪い人とか
そういうことではないんですね。
エネルギー的なバランスの問題です。

逆にエネルギーの弱い人は
人の影響を受けやすいです。
だから自分の中心をしっかり意識する
ということが大切になります。

場にもエネルギーがあります。
今日はクリスマスイブ。
みんながウキウキした気分でいるから
世の中全体が賑やかなエネルギーです。

そして慌ててプレゼントを用意しようとしたり
クリスマスディナーの買い物に走る人の
慌ただしいエネルギーが入り混じっています。

これが明後日になると全然違うものになる。
面白いからそれを感じてみてね。

ということで、
皆さんもよいクリスマスを!

                                                    
幸せのエネルギーは気持ちいいね♡
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23 décembre 2017


世の中には色んなSNSがあるけど
私が使っているのはフェイスブックだけ。
インスタもツイッターも
アカウントは持ってるけど使っていなくて
フェイスブックもほぼ見るだけ。
自分で投稿することはあまりないです。

特に理由はないんだけど、
敢えてそこで発信したいことがないってことかな。
私が伝えたいことはブログに書いているし
フェイスブックは場所が違う気がするし
インスタに投稿するほど写真を気にしないし。

そう言いながらもどこかで食事をすると
出てきたものをまず写真に撮る。
その画像を使うことはないのに習慣で撮る。
後で見ても大して感動もしないのに
とりあえず撮る。

ずっと前からそういうのに違和感があったのにね。
例えば子どもの運動会のとき。
走っている姿を生で見たいのに
シャッターチャンスを逃すまいと
カメラのファインダー越しに見ていた。
おゆうぎ会の時でも何でも
いつもカメラ越しにそれを見ていた。

リアルな感動をその場で味わうことが
一番大切なことのはずなのに
写真を残さなくちゃという強迫観念に駆られて
いつもカメラを構えていたよね。

ファインダー超しでは臨場感に欠けます。
後でいくら写真を見てもその場の感動は蘇らない。
その一瞬にしか味わえないものが薄まってしまう。
それでも写真を撮り続けていました。
その写真をね、娘たちは大して気にしてないの。
親の自己満足だったのね、結局。

今は一眼レフがスマホに取って代わったけど
同じことをしているなぁと思う。
美味しそうな食事が目の前に運ばれてきても
その雰囲気も間も楽しむことなくいきなり写真。 
お料理が運ばれて来る度に写真。
それって、なんか変だよね。やっちゃうけど。

お店もそんなお客さんに迎合して
インスタ映えを意識したメニュ—を構成。
それをウリ文句にするなど、そりゃ大変です。
みんなが "今" をないがしろにしているから
世の中がどんどん落ち着きなくなる。

本当に大事なのは "今を味わう" ことです。
そんなことわかっているのにやってたな。
なのでせめてこれからは
レストランで写真を撮るのはやめよう。
そう思いました。

情報の出し入れを遮断することは
"頭の断食" だって。
ナルホド、そうかもしれない。

どうでもいい情報で頭をパンパンにしていたら
大事なものとそうでないものが一緒くたになって
何が価値あるものなのかわからなくなります。
時には頭の断食が必要なのかもね。

                                                    
大切なのは "今" だから。
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22 décembre 2017

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クリスマスが近いから、
というわけでもないけど天使の話。 

天使というと中世の宗教画に描かれているような
翼が生えた可愛らしい赤ちゃんの姿や
美しい女性の姿を思い浮かべる人が
多いのではないでしょうか。 
天使が好きな人、多いですね。 

私はキリスト教文化とはとんと縁がないので
天使と言われてもまったくピンと来ませんが
つまりは二元の世界を取り持つ媒介者で 
どこにでも存在できるものらしい。
どこにでも、というのは
高い次元にも低い次元にもという意味。

エジプトのアヌビス、チベット仏教のターラ、
ギリシャ神話のキオニソス、日本の猿田彦も
同じような存在なのだそうです。

天使=Angelというのは
旧約聖書の中にしか登場しない言葉です。
語源はギリシャ語のアンゲロスで
「使者」という意味ですが、
神様のお使いという意味も含まれるので
キリスト教では「天使」で定着したようです。 

そして宗教画の中でどんどん美化されて
今のようなイメージが出来上がったのね。

旧約聖書はキリスト教だけでなく
ユダヤ教でもイスラム教でも用いられますが、
旧約聖書の中で描かれる天使は
美しい女性の姿でも可愛い赤ちゃんでもなく
不気味な姿を持つ異形です。

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16の顔を持っていたり、
人間・牛・獅子・鷲の4つの顔があったり、
中には車輪のような姿をしてるものがいたり、
前後左右に4つずつの顔と876の目を持つ 
という記述もあります。
世間のイメージとは全然違うんです。

まあ、本物を見たことがないので
どんな姿が本当かはわかりませんが、
お願い事をするなら神様より天使がいいらしい。
キリスト教の神様や天使という意味ではなく 
あらゆる神様(神々)と媒介者(使者)の話。

神様はどの神様も遠過ぎますからね。
仕事の悩みをいきなり社長に相談しないように
まずは身近な天使にお願いするのがいいってこと。

誰にでも守護天使が1人ついているそうですが 
守護天使には遠慮なく何でもお願いしてOK。
ここではエゴもありなのだそうですよ。 

で、お願いするときには
①呼ぶ
②お願いする
③お礼を言う
④帰ってもらう
この手順を守らなくてはなりません。

その時にお願いする対象のイメージが
翼の生えた美女ではなく
不気味な異形だったりするわけよ。
目を閉じて異形の天使を思い浮かべながら
「お願いね」って。

私はどういうワケかそっちの方がピンとくるわ。
絵画に出てくるような美しい姿は
なんだか嘘臭い気がしてね。