janvier 2016

31 janvier 2016


子供の頃、孤児院で暮らす少女の前に
突然裕福なおじ様が現れる物語を読んで
「私にもそんな大富豪のおじ様が現れないかな」
と憧れたものでした。

大抵の人にはそんな夢の様な出来事は訪れません。
親戚を見渡せば、大体のことは想像できるからね。
私にも大富豪の親戚はいませんから
この先何年生きていても奇跡は起きないでしょう。

ところが、たまにいるんですね。そういう人が。

友だちの中にお金が降って来る人がいます。 
願っただけでまとまったお金が降って来る。

宝くじが当たる人もこのタイプですね。
当たる人は何度も当たるみたいだから
そういう運を持っているとしか言いようがない。

金運のある人の中には、
どうやらお金が降って来るタイプと
自分で稼げるタイプがいるらしい。

「願えば叶う」と言いますが、
いくら一所懸命願っても
それまでの人生と整合性のないところには
どんな奇跡も生まれません。

今までまったく縁のなかった仕事が突然
目の前に降って来てもそれを活かせないし、
英語が話せなければ外国の富豪と出会う
チャンスはまずないでしょう。

宝くじみたいに、ただ買えばいいものとは
その辺はちと違います。
やはり、それまでの積み重ねがあって初めて
運が活かされるのかな、と思います。

でも、ストーリーを変えれば
奇跡を起こすことはできる。
それができるとしたら
新しい出会いからしかあり得ません。

人生の最大のキーワードは「出会い」です。
それは何も人と知り合うことだけではなく、
知識との出会い、芸術との出会い、
何かの現象や感覚との出会いなど、
とにかく今まで知らなかった何かに巡り会うこと。

それによって、人は影響されたり
大きく変わったりします。
私もこの6、7年の間、そういう出会いによって
どんどん運命が変わっていくのを感じています。
究極のところ、私が引き寄せているのは
出会いなんだな。

新しいものに出会うためには
自分から外へ出向いていくことが大事。
じっとしていたのでは現状のままです。
変化が欲しいと思ったら行動を変えてみる。
小さなアクションを起こしてみる。

「面白そう」と心が動いたらやってみることです。
ウキウキするものには何かがあります。
行ってみたら大したことないかもしれない。
でも、もしかしたら自分を変える何かが
待っているかもしれないのです。

そこで出会った人や何かが媒体となって
別の誰かがキーパーソンとして登場する、
そんな可能性だってあるのです。
経験から言えば、むしろそっちの方が多い。

だから、自分のテリトリーに留まらず
フットワークを軽くして外に飛び出すんです。
きっといい事が待っていると思う。


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30 janvier 2016


海外のホテルには必ず自動靴磨き機があります。
靴を入れるとブラシが回転して磨いてくれるやつ。
あれ、日本のホテルにはないのよね。

帝国ホテルぐらいになると、夜間靴磨き無料
というサービスもあるみたいですけど、
ビジネスホテルでは靴磨き用の布すらなくて、
数年前に来た外国人の友だちは
靴が磨けないと嘆いていました。

そういえば、いつかダーリンが言ったことがある。
「日本人って靴を磨かないよね。
 みんな靴クリーム持ってないんでしょう」
「そんなことないよ。みんな持ってるよ」
私は反論しましたが、彼にはそう見えるらしい。
多分靴がピカピカな人が少ないのです。

ハニーも仕事の面接に行くのに、
「靴をピカピカに磨いて」
と、まず靴のことを言ってたっけ。
靴を磨くという行為が身なりを整えることの
代名詞になっているんだと思う。

私から見たら十分にピカピカの靴を指して、
「きれいじゃなくて恥ずかしい」と言うし。
何年も履いているというその靴は
形も崩れていなくてよく手入れされています。

日本人は100年前までは下駄の文化。
どうやら西洋人に比べて靴に無頓着のようです。
玄関で立ったまま靴を突っ掛けて
靴ベラも使わずに履いちゃう人がいるけど
ああいうのは西洋人には信じられないらしい。

下駄や草履はさっと突っ掛けて履けるからね。
その履き方が遺伝子に組み込まれている?

もちろん、中には靴に命を賭けている人もいます。
私の甥は靴好きで死ぬほど靴を持っていますが
流石に彼はいつもきれいにしているわ。

逆に女子の方が無頓着な人が多いかも。
若い女子は、デザインは気にするのに
サイズが合わなくても平気だったりします。
新宿でも時々そういう子を見かけるけど
よくそんなブカブカの靴で歩けると驚いちゃう。

当然正しい姿勢で歩けるはずがないから
あれはカラダにも良くありませんね。
足を痛めたり骨盤が歪んだりします。

そうかぁ。
日本は靴の発展途上国だったんだ。
もっと真剣に靴と向き合わないとダメだな。

 
 
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29 janvier 2016


「ハニーはいつも何かに怒っているね」
私がそう言うと、彼が言いました。 
「え、そんなことないでしょう?例えば?」 
「例えばボスとか仕事先の人とか彼女とか。
 ハニーはHATE担当、私はLOVE担当」
「えー、酷いなぁ」

ハニーは気難しい人です。
これまでの人生で色々と大変な思いをしているので
心の奥底に怒りと不信感があります。
だから否定から入る。
16歳でフランスを出てからずっと外国暮らしだし
自己防衛本能が強いのは当然だと思う。

私は自分も他人も否定しません。
彼に言わせると私は警戒心がなさ過ぎなのですが
LOVE担当でいた方が遥かに楽なんだもん。
私は彼の怒りをLOVEで溶かしてあげたいのさ。 

でも、よく考えてみたら
一見攻撃的な彼の方が実際には守りの姿勢で
へらへらしている私の方が実は攻撃的なのかも。

今日もクルマの運転について言われたんです。
「ドライバーには2種類ある。
DefensiveなドライバーとOffensiveなドライバー。
あなたの運転はOffensiveだから気を付けなさい」

確かにその通り。
ハニーなら待つところを行ってしまったり
すぐにアクセルを踏み込んだり
つい強気な運転になりがちです。
それでいつも叱られるのよね…

彼は教習所の教官みたいな運転をしますが
それは他のドライバーを信用していないからです。
いつ誰がどんな危険行為をするかわからない
というスタンスだからとても慎重。

ハニーは、自分を守れるのは自分しかない
という立場で物事を考えているのです。
攻撃は最大の防御だから仕事では強気に出る。
言うことが攻撃的だからそう見えますが
本質的には守りが硬くてとても慎重です。

私は、常に安全という根拠のない自信があるから
自分を守ろうという意識はゼロです。
だからへらへらしながら強気で前に進みます。 
これは国民性の違いだな。
私にはやはり島国育ちの呑気さがある。

ハニーはとても面倒臭い男です。
でも、それ以上に魅力的なのは
彼の魂がキレイだからだと思う。
魂がキレイだから彼には品性があるのです。
彼の生まれ育った環境を考えたら
どこでこの品性を身に付けたのか不思議だけど
こういうのは生まれ持ったものなんだろうなぁ。

今週はダーリンとデートした日以外
毎日ハニーと会っていました。
てか、毎日フランス人じゃん。ゴージャス!
今ね、彼と面白い仕事を考えてるんだ。
上手くいきそうな気がする。
 

 
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28 janvier 2016


子供が小さい頃、
白いタオルは決して使えませんでした。
泥んこの手をちゃんと洗わないで拭くからね。
それで、いつもこげ茶とかグリーンとか
汚れが目立たない色を選んでいました。
白いタオルはずっと憧れだった。

二女が小さな子供を連れて結婚した後に
私はホテルに置いてあるような
オーガニックコットンの白いタオルを買いました。
新しいふわふわの白いバスタオルで
体を拭いた時のあのシアワセな気持ち。

タオルはどのタイミングで新しくするか難しい。
ごわついてきたなぁ、と思っても
もう少しいいかと使い続けたりして。

よくあるのが、
新しいタオルは来客用に取っておいて
自分たちは古いタオルを使うというパターン。

器もそうです。
上等なものは来客用にと仕舞っておいて
普段は割れても惜しくないような器を使っている。

そういうの、ダメです。
自ら自分の価値を下げることになる。
お客様なんていつ来るかわからないのです。
大切なのは日々の生活であり今の自分。

だから普段使うものこそ上等であるべきです。
タオルなんて小さなものだけど
顔を洗う度、お風呂に入る度に
どれだけシアワセな気持ちになれることか。

気に入った器で食事をすると
同じ料理がどれだけ美味しく感じることでしょう。
好きなものに囲まれると魂が喜びます。

もっと言えば、その仕舞ってあるタオルや器は
頂きものや引き出物だったりしませんか?
自分で使うものは自分で選ばなくてはダメ。

私は好みがハッキリしているので
頂きものを使うことは、まずありません。
余程気に入ったものでなければバザー行き。
本当に好きなものしか使いたくないのです。

昔から骨董や作家物の器が好きなので
子供が小さい頃から日常使いにしていました。
でも不思議と割ったことはありません。
好きなものは大切に扱うからだと思います。

自分のために花を買っていますか?
私は自分がいる空間に花を絶やしません。
一輪だっていいのです。道端の野の花でもいい。
季節の花が少しあるだけで心が和むし
花が少しあるだけで部屋の気が変わります。

そうやって
居心地の良い時間や空間を作ることは大切です。
日常を大切にすると魂が喜びます。
魂が喜ぶとエネルギー値が上がり
運気も上がります。絶対に。


 
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27 janvier 2016

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この冬はもう絶対に買い物をしないと決めたのに
友だちの買い物に付き合ってセールに行ったら
そんな決意は何処へやら、
「WASH」で靴を大人買いしてしまいました。

だって、何か月も前から気になっていて
店の前を通る度に眺めていた靴が
40%オフになってるんだもん。
私、靴には弱いのです…。

3.11以来、通勤には低い靴と決めています。
地震後暫くは、スニーカーしか履けなかった。

あの時は大勢の人たちが家を目指して歩きました。
諦めの良い私はそんなことは思い付きもせず
電車が動き出すのを事務所で待ちましたが、
翌日からの通勤は多摩川を渡る度に緊張しました。
川を渡らなければ家に帰れないから。

もし、またああいうことがあるとしたら
次は首都直下型地震かもしれません。
新宿に通勤する身としてはやはり
通勤は低い靴に限る、と思うわけです。

そうはいっても、いつ来るかわからない地震。
いつもいつも低い靴ばかりではつまらない。
なのでプライベートではヒールの靴も履きます。

で、こちらは秋に大人買いしてしまったブーティ。
同じ形のデザイン違いで、
1つはスエードにヒョウ柄のハラコ
もう1つは牛革に爬虫類の型押しです。

IMG_1408 (1)

この靴たち、こんなナリをしていますが、
クッションの利いた素晴らしい中敷きが入っていて
7.5センチヒールと思えないほどの履き心地。
これまで4~5センチ位のヒールばかりだったのに
あまりに履きやすくてこればかり履いています。

ちゃんと計算されていて木型が合っていれば
ヒールが高くても大丈夫なのだと納得。
見た目も美しくて気分もぐーんと上がります。 
やっぱり靴って大事よね。

私は数年前、いきなり過激な運動をして
右足の裏のアーチを痛めちゃったんです。
で、何かの拍子に痛くなることがある。
「こんなに健康な成人女性の足の裏は珍しい」
と専門家に絶賛されるほど元気な足だったのに。

ヒールはもう無理かもと諦め気味だったので、
楽々履けるこの靴を見つけた時には泣きました。
因みに、こちらは「ROCKPORT」。

あー。でも、もう靴は買わない。
絶対に買わない!
もう2年は買わない!!
ワタクシ、ここに固く誓いを立てたいと思います。


 
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26 janvier 2016


七里ヶ浜から見る富士山は絶景です。
たっぷりと雪を頂き風格を漂わせた富士山を
ぜひ写真に収めようと、私はiPhoneを構えます。

ところが、実際に見るとあんなに大きい富士山が
写真だとすごく遠く小さくなってしまう。
何度挑戦しても思うように撮れません。 
なんでこうなるの?

私たちは網膜を通して物を見ます。
網膜の中の神経節細胞は100万、
視神経繊維の数は120万程度です。
これはデジカメの120万画素みたいなもの。 
私が使っているiPhone6は800万画素ですから
どれだけ粗い画素数かわかるでしょう。

でも、私たちはこの眼を通して
どんなに解像度が高いテレビよりキレイに
物を見ることができます。
何故こんなに何もかもちゃんと見えるの?

それは、足りない部分を脳が埋めているから。
情報を統合し処理して120万画素の画像を
iPhone以上の画像に作り変えているからです。
脳ってスゴイ!

なので、私がこの目で見た大きな富士山は
私の脳が創った画像であって、
iPhoneに写った小さな富士山の方が本当の姿。
そういえば、この前のキレイな満月も
写真に撮ったらうんと小さかったもんね。

つまり、私たちがいつも見ているものは
あんなにリアルに見えていても
本当の姿ではないのです。
私が見ているものとあなたが見ているものが
同じとも限りません。
不思議だぁ。

記憶だって、どんどん上書きされているらしい。
自分の記憶の中で
「絶対に事実だ」と思っていることも
本当は脳が勝手に別のストーリーに
書き替えているということだってあるのです。
というより、そういうものだと思った方がいい。

アメリカの有名な裁判。
ある女性がカウンセリングで退行催眠を受けたら
子供の頃に父親に性的虐待を受けたという
記憶が蘇りました。
女性は父親を相手に裁判を起こします。

ところが、裁判が進むにつれて
多くの矛盾点が明らかになります。 
結局、女性が思い出したという記憶は
脳が勝手に書き替えていたものと証明され、
父親の無実も証明されました。 

催眠術で蘇った記憶が偽物だなんて
一体誰が疑うでしょう。 
それほど、記憶というのは曖昧なものなのです。

私は子供の頃のことを殆ど覚えています。
でも、私が覚えていると思っている事実が
本物だという自信はもはやありません。 


 
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25 janvier 2016


私はハニーと暮らしているわけではないので
会うときはいつでも新鮮です。
強烈に惹かれ合うのはフェロモンの仕業です。

でも、彼がウチに来たくなる最大の理由は
私の料理が食べたいからなのです。
私は人に食べさせるのが大好きなので
いつでも彼の好物を作ってあげます。

The way to a man's heart is through his stomach.
彼は私に胃袋をつかまれたと言って
この諺を教えてくれました。
これは万国共通。胃袋大作戦ね。

食欲・性欲・睡眠欲は人間の3大欲求だからして
そこが満たされれば上手くいくのは当たり前。
きっとどんなカップルでも最初は同じでしょう。
相手に喜んでもらおうと一所懸命になるよね。

それが、結婚してすっかり慣れ合いになると
「体に悪い」とか「太る」とか言って
相手の好きなものを制限するようになります。

それが相手の健康を気遣ってのことであっても
素敵な人でいて欲しいという気持ちからであっても
相手にとっては相当なストレスになります。
食べることは生きることと直結するので
言われた方は本能的に危機感を覚えるのです。

「えー、また飲むの?」
と、夫が冷蔵庫のビールに手を伸ばすのを咎めたり
「そんなに食うと太るぞ」
と、妻が甘いものを食べるのに文句を言ったり。

その上、
妻は昼間はお洒落して友人とランチしても
家に帰ればスッピン&楽なジャージ姿。
妻が見る夫の姿もビジネススーツかジャージだけ。
日常生活なんてそんなものですけど
相手を異性として意識しなくなっても仕方がない。

私もそんな妻でしたが、
今となっては気の毒なことをしたと反省しきり。
一所懸命働いて帰って来たんだから
「お疲れさまでした」
と、快くビールを出してあげればよかった。
でも、それもこれも今だから言えることです。

ハニーは甘いものが大好きなのに
お菓子も炭水化物も彼女から禁止されています。
ダイエットしろってことです。
甘いパンの袋なんか見つかった日には
「食べたの?」とすごーく嫌な顔をされます。

かと言って、彼女は何もしてくれません。
2人の間にはこれまでに色々あって、
洗濯も炊事もそれぞれ自分のことだけするって
ある時に2人で決めたそうです。

年を重ねて丸くなり、お利口になった私は
ヘルシーなメニューで食事のカロリーを減らして
その分デザートを食べさせてあげます。
彼にとっては天使だよね、私。

別に点数を稼いでいるわけではありません。
味覚の合う人と「美味しいね」と食べることが
私自身の喜びだからそうしているだけです。

ハニーと仲良くするのは簡単なのに。
美味しいサラダを毎日たっぷり作ってあげて
バゲットとチーズとスープを用意してあげれば
彼はいつでもご機嫌だと思う。
フランス人なんだもん、そういうの食べたいよ。

彼は今日もごはんを食べに来ちゃいました。
頑張ってよ、彼女。


 
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24 janvier 2016


「私、あなたがもう要らないって言うまで
 側にいるから、 要らなくなったら教えてね」
と言うと、ハニーが言いました。
「要らなくならないと思うよ」

さあ、それはどうかな。
でも、それはどちらでもいいんだ。

ある友人が私たちの関係を指して
「不倫」と言うのを聞いて
そんなんじゃないなぁ、と思った。 

第一、彼は独身です。
神様の前で永遠の愛を誓ったわけではないし
2人の間には結婚する予定すらないのです。 

あの素晴らしいダーリンだって、
今の彼女(あ、もう奥さんだ)と出会ったときは
前の彼女と一緒に暮らしていたんです。
あの時ダーリンは
「同時に2人の女性を好きになるなんて」
と自分の気持ちに驚いていました。

今のハニーも同じです。
彼女に愛情はある。でも私も好き。
出会ってしまったのだから仕方ありません。

男女がくっ付いたり離れたりするのは自然の摂理。
好きで一緒にいても、別れることもある。
人の気持ちは永遠ではないのです。 
Everything is changing. 諸行無常です。

だからといって、私は彼を自分のものにしようとは 
これっぽっちも思っていません。
調和が乱れるのは私の望むところではないし、
そもそも彼は誰のものでもない。
彼自身のものでさえないのです。

彼だけではありません。
私も、あなたも、自分のものでさえない。
そういう離れたところから私はものを見ています。

その上で、今はただ
一緒にいないことの方が不自然だから 
こうして時々一緒にいるだけ。 

こんな風にハニーとのことばかり語っていると
私の頭の中がこの事で占められているように 
見えるかもしれません。

でも、そうではないのです。
私の中には、何ものにも影響されない
ニュートラルな自分がベースにあって      
私はそこから、行きたい時に行きたい世界に
自由自在に飛んで行きます。 

ハニーの世界はその1つなんです。
だから私は当事者であり観客でもある。
浮かれたりウキウキしたりするのは
観客としての私であって、
私自身ではないともいえます。

もっと引いて見るなら、これはブログネタです。
ここに書いていることは真実ではありますが
私は読み物としてこれを書いています。
私のありのままが宇宙に繋がっていることを
面白可笑しく伝えることが目的だから。

ハニーがスカイプで話しかけてきます。
「おはよう!」 
私もそれに返します。 
「おはよう!今日も大好き」 
「明日もね!」 
「うん。毎日大好き」 

文字にするとバカバカしい
まるで高校生みたいなこの会話は、
ここで感じる小さなシアワセは、
私たち2人だけが感じることのできる
特別な世界です。

同時に、その感覚を味わっている自分を
画面のこちら側の私が観客として楽しんでいる。
それをライターの私が書いている。
そんな感じです。


 
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23 janvier 2016


引っ越す話を友だちにしたら
それぞれの反応が面白かった。
私の感覚は人と相当違うんだなぁ。

大抵は、離婚した妻の権利に言及し、
その権利が侵されることを心配し、
引っ越し先が私の終の棲家になることを
前提にコメントします。

「マンションって彼の名義になるんでしょ?
 もし彼が再婚した後死んだらどうなるの?」
「買うより賃貸の方がいいんじゃない?
 その分のお金もらって」

そういうのが普通の反応なのでしょう。
まともな人は自分の人生を計画的に考えます。
将来に渡って安心して暮らせるよう
保証して欲しいと思うのは当然のことです。

でも、私はそういうことは全然考えたことないの。
そもそも計画性ないからねぇ(笑)

離婚するときには色んな人が
「慰謝料もらわなきゃダメよ」と言ったけど、
私は彼に女性がいたことを全然気にしていないし
離婚することがとても自然だったのだから
慰謝料を請求する理由がありません。

別れた夫は誠実な人だし
彼とは絶対的な信頼関係があります。
彼はいつも私に最善の方法を提案してくれるしね。
私は自分が困難な状況になることなんて
まったくもって想像すらできないのです。

第一、これから住むマンションは
私の終の棲家というわけではありません。
ただのステップ。

私はこれからいっぱい稼ぐんです。
今はお金なんて全然持っていないのですが、
私は仕事運抜群の強運の持ち主なのです。
いっぱい稼いでいつか自分でマンションを買って
「今までありがとう」と夫に返上する。

それが私の計画なのさ。

友だちがいつもいつも「代々木に住みたい!」
と言うのを聞いていたら、
私も釣られて代々木が素敵に思えてきました。
いっちょ、代々木辺りに買ってご近所になるか。
何かと便利でいいなぁ。地盤硬いらしいし。

私はこの頃、本当に限界なんてないのだと
理屈じゃないところで感じています。
そもそも限界って何だったんだろう。
その意味さえわからなくなってきました。

普通の人には危なっかしく見えるかもしれない。
でも、本人は至って冷静で何の不安もありません。
てか、不安ってどうやったら感じられるの?

そして、私が口に出していることは
いつか本当になることもわかっているのです。
私がそう決めたんだから。


 
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22 janvier 2016


近頃よく耳にするノンデュアリティは
仏教でいうところの「空」です。
「空」とは何ものにも捉われない
ニュートラルな状態のこと。
「何もない」という意味ではありません。

「悟り」というと、然るべき修行をして
ようやく到達するものというイメージですが、
実は必ずしもそうではなく、
普通に暮らしている主婦がある日突然
その境地に行くこともあるそうな。

それ、わかる気がします。

私はこうして思いっきり俗っぽく暮らしているし
清廉潔白というわけでもありません。 
でも、こんな風に生きているうちに
どんどん中心が定まり、調和的になって
色々な境目がなくなっていくのを感じます。 

悩みや葛藤はないし、心は穏やか。     
人の目を意識したり他人と比較することもない。
普段瞑想なんかしないのに、たまにしてみたら      
何十年も瞑想修行をしてきた人に
「いきなりそこに行けるなんて羨ましい」
と言われちゃう。

そういうのを全然追求してないのに 
何故か少しずつ「そこ」に近づいていると感じる。 
まるで宇宙が私を呼んでいるみたいです。
これって、なんなんだろう。

で、思ったのです。
私は恋愛することで宇宙に近づいていたのか?
こんなことが修行になっていたのか?
こんなんでいいのか??
 
確かに、自分を全開にして愛を溢れさせるのに 
恋愛は手っ取り早い方法です。
宇宙は愛と叡智だから、 
愛が満ちると宇宙と繋がりやすいのは道理。

あの人とか、この人とか 
友だちの顔が思い浮かびます。
うーむ、私の見たところ宇宙に近い人は皆
ごくまとまな感覚の持ち主で、且つ
スピリチュアルに捉われず人生を楽しんでいるね。

私は悟りを開くことを
人生の目的にしているわけではありません。 
私はただ毎日シアワセを感じていたいだけ。
好きなことや好きな人にハートを全開にして
ふわふわと漂っていたいだけなのよ。

そして、私と同じように
みんなにもシアワセでいて欲しいと思う。
私の周りにいる人たちも、それ以外の人たちも。
だって究極の願いは世界平和だもん。

自己愛と自他愛というものがありますが
人に何かをしてあげたいというのはエゴ。
それは結局自己愛です。 自己満足。

本当の愛はその向こう側にある。
いつかそこに行けたら
もっと気持ちいいんだろうな。


 
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