26 septembre 2020


自分が想定しているペースより
遥かに速いスピードで物事が進むと
私の気の小ささが顔を出します。
案外ビビりなんだよね、私。

ペットの肖像画をやりたいなってふと思ったら
途端に猫のアート展の仕事が舞い込んできて
あれよあれよという間に
半年先までのスケジュールが
決まってしまいました。 

すぐに売れやしないから
9月10月のイベントは同じ作品でいけるはず。 
私の世界観が伝わる点数ということで
5点出すことにしたんだけど
5点目として用意していた絵が
思いがけず売れてしまいました。

嬉しい誤算だったのですが
売れ筋と言われたサイズはもうないので
代わりに大きいサイズの作品を加えて
慌てて梱包・発送したのが日曜日。

そしたら木曜日、
猫を2匹飼っている知人の女性に
突然絵を依頼されたのです。
「Yuriconさんの絵が大好きで
 前から描いて欲しいと思ってたの。
 玄関に飾る大き目の絵が欲しい」って。

ありがたいお話。
ご本人のことは知っているし
とてもいい構想がその日のうちに浮かんだから
きっと気に入ってもらえる絵は描ける。
でも、展開の速さにビビってます。
この調子で進んでいったらどうしよう。

なんでその話が来たかといえば
その日、Facebookのカバー写真を
墨絵から新作の猫の絵に変えたんです。
秋になったから衣替えと思って。
それを見てコメントが来たの。
特別な意図はなかったのに勝手に働いてくれた。。

私は形から入るタイプなのです。
準備万端整えてからでないと動けないのよ。
本当ならサイトを立ち上げて名刺も作って
「よし、始めるぞ」
とスタートする心算だったのです。
なのに現実がどんどん先に進んでしまいます。

イメージしただけで現実になっちゃう。
神様に養われるにも程があるよ。。

そういえば少し前、
モデルの猫ちゃんを探していたときに
オーダーしてくれた彼女の猫ちゃんを
チラと思い浮かべたんだ。

算命学の人に「忙しくなるわよ」
って言われたことを思い出しました。
来月は出張も2度あって仕事も忙しいのです。
あまりのビッグウェーブに
振り落とされそうになるけど
溺れないようにしっかりつかまっていないと。


25 septembre 2020

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フランソワはこのところずっと長野です。
山形の畑でまず収穫を済ませ
次に長野でも収穫したら
自分のワインを造るのです。

収穫中の様子と収穫後のブドウの写真を
たくさん送ってきてくれました。
ワイン造りってなんかロマンチックよね。

フランス人の生活にワインは切り離せません。
ワインに対する思いが半端じゃない。
蘊蓄も半端じゃない。
そしてワインを愛する人は
ブドウに特別の思いを持っています。
特に生産者は。

数年前に家族とフランスに帰ったダーリンも
自分のワインを造るのが人生の目的で
そのためにずっとお金を貯めていました。
向こうでも今年のワインができたかな。

そんなフランス人に思いをめぐらせながら
私は久しぶりに風景画を描きました。
アルザスの葡萄畑の絵。
よく見るとちゃんとブドウも描いてあるんだよ。

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こういう風景はフランスのあちこちで見られます。
いかにもフランスっぽい風景だと思う。

日本とフランスとではブドウ畑の姿が違います。
日本は棚に仕立てるけど
フランスでは真っ直ぐ伸ばします。
描いてて気づいたけど
果実は下の方に生るんだね。

この木の形状はフランスではいいけど
雨の多い日本の気候では
土がはねて病気になるんだって。
そういう話はフランソワから聞きました。

ダーリンはスミレの香りのするブドウで
ワインを造ると言ってたけど
何という品種か忘れてしまいました。
物知りのフランソワに聞いても
わからないって。

ダーリンは最初のワインのラベルに
約束通り私の墨絵を使ってくれたけど
フランソワは河鍋暁斎の
「三味線を弾く洋装の骸骨」を
自分のワインのラベルに使ってるくらいだから
私の絵は合わないね。笑

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フランソワのワインのラベルは
諦めることにしよう。




24 septembre 2020


札幌の猫アート展のための荷物を
日曜日に無事出荷したので部屋がスッキリ。 
この荷物は札幌が終わるとそのまま
伊勢丹立川店の会場に運ばれます。

立川店のことで電話をもらったのは先週末。
その際、「ご相談なんですけど」と
買っていただいた方に何か特典を付けられないか
尋ねられました。

そんなのお安い御用よ。
他の人がどんなものを用意するのか聞いたら
自分の挿絵が使われた本という人もいれば
ポストカードのセットという人もいます。

じゃ、可愛い写真立てを用意して
ポストカード大にプリントした作品の画像を
入れるっていうのはどうかしら。

それで日曜日に近くの雑貨屋さんに探しに行き
小洒落た写真立てを見つけました。
さて、中に入れるポストカードは
どうするかな。

チラシの入稿が27日だというから
それまでに画像が必要ね。
ウチのプリンタではキレイな色が出ないから
会社の素晴らしいプリンタで印刷してもらおう。

同僚のMacオペレータに
以前名刺用に買った厚手のいい紙を渡して
「仕事の合間にこれをハガキ大に印刷してー」
とお願いすると彼女はササッとやってくれました。

A4用紙に4枚入ったよ。プリントも可愛いぞ。
画像は会場には持っていかない作品にしました。
本当はこの絵も出すつもりで用意していたんだけど
墨絵の生徒さんが欲しいと言ってくれて
早々に売れちゃったのです。

会社のプリンターはプロ仕様だから
素晴らしくキレイに印刷できます。
本物の印刷に限りなく近い色が出るんです。
こんなことをすぐに頼めるなんて
考えてみたらラッキーな私。

プリントしてから気づいたんだけど
絵はFサイズだからハガキだと余白ができるんだね。
白いままだとイマイチなので
余白は日本画の絵具で黄色く塗りました。
こういうの、妥協できない性分だからさ。

で、完璧に仕上げたら今度は撮影。
リビングは白熱灯しかなくて赤く写るから
寝室の蛍光灯の下で撮りました。
影が入らないように、
反射で光らないように、慎重に撮影。

できた画像を運営会社の人にメールで送って
はい、一丁あがり。



23 septembre 2020


骨折の手術をしたのは6月の終わり。
傷はいい感じに治ってきて
手首もほぼ元通りになりました。

今日は経過観察のための診察日。
CTで骨がついていることが確認できたら
次の手術の日程を決めます。

今手首には大きなプレートが入ってるの。
レントゲンの画像を見ると
まるでサイボーグのようでカッコいい。笑
今度はこれを取るのです。

小さいプレートだったら
そのままでもよかったんだけど
私は大きいので固定する必要があったので
外さないと腱が傷つくんだって。
実際親指を動かすと腱に干渉しているのがわかります。

私がかかっている病院は
早くプレートを外す方針みたいで
術後3か月から6か月で抜くんです。
ほかの病院は6か月から1年くらいらしい。
でも腱のためには早く外した方がいいよね。

今回の件があるまで
大学病院に行くことなんてなかった。
というより根が医者嫌いなので
余程のことがない限り
医師のお世話になることはなかったのです。

ところが大学病院って
血液検査したりレントゲンやCTを撮ったり
自分の体の内部のことがわかるから
ちょっと面白くなっています。
病気じゃないから言えるんだけどさ。

会社の人が同じ場所を2度切れないらしい
というから線が2本できると思ったのに
実際はせっかく治りかけた傷を
もう一度開くんだね。
頑張って再生した傷の細胞が可哀そうだねえ。

この前マンションの同じ階の男性と
エレベータで乗り合わせたんだけど
その人も昔手首を骨折したことがあってね。
傷を見せ合って「お揃い」なんて笑った。

「プレートはいつ外すの?」って聞かれて
「多分来月です」と言ったら
「2度目の手術はビックリするほど痛くないよ」
だって。

骨折の手術はその日の夜かなり痛いのよ。
舐めてかかってたら痛くて眠れなかったもん。
骨が折れてるんだから当たり前だけど
今度は切る痛さだけですからね。

さて、手術の日程は10月10日。
今度は入院しようと張り切っていたのに
結局日帰りになってしまいました。


22 septembre 2020


友だちとウチでごはんを食べながら
若い頃の写真を見て笑いました。
彼女のダンナは高校からの付き合いなので
どの写真にも登場するの。
どこを切り取ってもいるんだな。笑

それは彼が元夫の同級生だったからで
当然元夫もあらゆる写真に登場します。
アルバムは嵩張るから全部処分して
楽しそうな写真だけ取ってあるんだけどね、
今見ても楽しそう。

別れた人の写真が普通にあるのは
まったくこだわりがないからで
娘たちが後で見ても面白いかなと思ってさ。
ホント、若かったわぁ。

この時代の友だちは
いつ会っても学生時代に戻っちゃう。
多分一生の付き合いだと思うけど
変わらない大切なものってあるよね。

さて、月日は流れ
今は外見も中身もすっかり別物の私ですが
昔の私は変化することが嫌いでした。
今ある小さな世界が私の世界のすべてで
それ以外の世界を知ろうともしなかった。
変化することが怖かったんだと思う。

でも黒船の来航で(ダーリンのことね)
自分の内側に劇的な変化が起きると
変化することも未知の世界に触れることも
すごく面白いと思えるようになって
そこから人生が大きく変わりました。

舵が大きく切れるのと同時に
運がぐーんと開けたよ。
私が自分のシェルターの外に出たから
何かにつながったんだと思うけど
イメージしたことは何でも実現しちゃうし
神様に養ってもらえるしね。笑

今はものすごいエネルギーに包まれていて
くらくらするくらいです。
人は本能的に変化を嫌うものですが
恐れることは何もないんだよね。
経験者は語る、であります。

なので、シェルターから飛び出しましょう。
変化を恐れず宇宙に身を委ねると
1番いいところに連れて行ってもらえるよ。
そしてやりたいことは気が済むまで
やってみるといいよ。



21 septembre 2020


私、普段は民放のドラマを観ないのですが
日曜日は海外ドラマが再放送ばかり。
少し前にたまたまテレビをつけたら
「半沢直樹」をやっていて観ちゃったんですね。

最初はあの大袈裟な芝居が
チョット鼻についたんだけど
見ているうちについ引き込まれて
次の週もまた観てしまいました。

先週は見損ねて今週が3回目。
来週が最終回というタイミングで
なんかハマった。
バカにしてたけど面白いじゃん!

何なんだろうねえ、あの魅力は。
銀行を舞台にしながらも
時代劇のような勧善懲悪のヒーロー物語。
そこが日本人の心に響くのかな。

見えを切るようなセリフ回しは
見ているとちょっと恥ずかしいんだけど
慣れるとおいしいくさやの干物。
これが話題の「倍返し」かと
今更ながら楽しんでいるのであります。

思えば昔はよく時代劇を観ていました。
「銭形平次」も「水戸黄門」も
「暴れん坊将軍」も好きだったな。
時代劇って毎度同じ展開なんだけど
最後は必ず善が勝つのが痛快だよね。

「半沢直樹」は現代劇というより時代劇。
悪代官VS町のおかっぴきだよね。
悪者はいかにも憎たらしい感じでさ。
半沢直樹が十手片手に代官屋敷に乗り込んでいく
って感じがいいのよね。

普段民放を観ないのは
海外ドラマを観るのに忙しいからで
私は結構テレビっ子。
仕事から帰ったらまずテレビをつけるもんね。

10月は番組改編で新しいドラマが始まるのかな。
面白そうなドラマがあったら教えてね。



20 septembre 2020


男性は結婚しても名前は変わらないけど
女性は特別な理由がない限り
結婚相手の苗字に変わりますね。

結婚した当初は
夫の苗字で呼ばれることに慣れなくて
嬉しいような恥ずかしいような
複雑な気持ちになります。

私みたいに離婚すると
戸籍上の名前が更に変わるわけだけど
これが結構めんどうくさい。 

仕事では名前が変わったことを
お客さんにいちいち伝えるのは面倒なので
離婚した後も元夫の名前を使っています。
つまり2つの苗字で呼ばれることがあるわけ。

離婚するときには
どちらの苗字を名乗るか選べますが
私の名前は姓名判断で付けたものなので
ほぼ完ぺきな画数ということになってる。
後で調べたら家庭運だけはダメだったけど。笑

姓名判断はあまり気にしていませんが
せっかく両親が考えて付けてくれたものだし
元夫の苗字だと1画足りないので
元に戻しました。

ところが、普段の生活では
圧倒的に元夫の苗字で呼ばれることが多い。
日本画教室みたいに
離婚した後に知り合った人には
戸籍上の名前で呼ばれるんだけど
これがすごく変な気持ちなんです。

元夫の苗字で呼ばれてた期間の方が
圧倒的に長いでしょ。
なのでまるで結婚したてのときのように
本名で呼ばれるのが気恥ずかしい。
もう5年以上経ってるのに一向に慣れないの。

でね、私の雅号は「梨水」なのですが
これは元夫の苗字と字面が合うのです。
今の苗字だとしっくり来ない。
で、本当は苗字がないのは変なんだけど
こちらは苗字なしの梨水にしちゃいました。

日本画では別のアーティストネームを
付けることも考えたのですが、
そうすると落款につかう雅印を
新しく作る必要があります。
雅印ってそれ自体が作品なので
そう簡単に彫ってもらうわけにいかないし。

私は梨水の雅印を
大小様々20種類ほど持っているので
それが使えるのはメリットだし
墨絵の人たちの間では「梨水さん」で通ってる。
色々考えると結局梨水でいる方がいいのよね。

というわけで、
名前というのは結構面倒くさいなぁと。
でも、素敵なフランス人と結婚したら
喜んでマダム〇〇になっちゃうわよん。笑



19 septembre 2020

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昨夜のこと。
お気に入りの海外ドラマ「シカゴ・ファイア」を
のんびりと観ていました。
「シカゴ・ファイア」というのは名前の通り
シカゴの消防署51分署を舞台にした
ヒューマンドラマです。

ドラマの中で火事の知らせが入り
消防車が出動するシーンを見ていたら
ドラマの中のサイレント重なって
遠くから本物のサイレンが聞こえてきました。
消防車は1台ではないみたい。
こんな時期に火事なんて珍しいなぁ。

「近いな」と思っていたら
サイレンはどんどん近づいてきて
うちのマンションの前で止まるではないか。

ベランダからのぞくと消防車が4台
救急車が1台、パトカーも止まっています。
「なぬ?」と玄関から出て反対側を見ると
消防士さんがうちのマンションに入って来る。

えーーー、ここ?

階段で2階に降りてみると
数人の消防士さんがホースを持って
2階の奥に進んでいきます。
うそ、ここで火事なのか?

消防士さんのトランシーバーを盗み聞きしたら
1番奥の部屋で警報機が鳴ったらしい
ガス漏れという言葉も聞こえてきます。
玄関ドアが開かないという声も。

「部屋に戻っていてください」
消防士さんに言われて3階に戻ると
同じ階の女性も出て来ていて情報共有。
一緒に上から様子を見てたんだけど
どうやら大事ではなさそうです。

外では消防車が赤色灯を点けたまま
道路で待機しています。
テレビでは51分署が現場検証をしています。
なんだかドラマの中に入り込んだみたい。

もう一度2階に様子を見に行くと
さっきはぺたんこだったホースに
水が入って膨らんでいます。
放水したのか?

邪魔しちゃ悪いからまた3階に戻ると
3階の1番奥の部屋の奥さんが出て来て
「窓を開けていたら煙の臭いがした」
というのです。
じゃ、本当に何かが燃えたんだ。

3階の野次馬3人で話し合った結果
どうやらキッチンで火が出て
火災報知器が鳴ったらしい。
ボヤで済んだみたいだけど
ガス漏れしたなんて怖いねえ。

下の様子が落ち着いてきたので部屋に戻ると
シカゴ・ファイアはもう終わっていました。
それから暫く外はざわざわしてたけど
ついに消防車も救急車も去って行きました。

1時間ほどの騒動だったけど
大したことなくてよかったわ。



18 septembre 2020


「猫のアート展」の運営会社から連絡が来ました。
「10月に伊勢丹立川店のイベントが決まったので
  そちらもよろしくお願いします」
おお、今月に続き来月もか。
立川なら様子を見に行けるではないか。

ところが甘かった。
「土日に会場に来ることは可能ですか?」
そうだよね、任せっきりというのもナンだよね。
地方はともかく、通える場所だからなぁ。
結局週末は会場に詰めることになりました。
まあ、そんなのも面白いか。

さらに3月には名古屋の三越星ヶ丘店でも
大きなイベントがあるので
そちらもお願いしたいと言われました。

星ヶ丘というのは
名古屋で一番お金持ちが多い地域で
イベント会社は気合が入るのだそうです。
来れないかと聞かれたけど
さすがにそれはなぁ。

なんか、忙しいではないか。。。

個展といえば通常年に1度のペース。
精力的に活動をしている人でも
展覧会は年に2度くらいのものだと思います。
作品が間に合わないもんねえ。

そんなに売れるものではないとしても
この先半年で3つのイベントがあるって
結構気忙しい。

売れちゃったら困るから(笑)
絵は常に描き続ける必要があります。
おじさんを描いてる場合じゃないのか?
私は描くのが早いし猫は楽しいからいいんだけど
飼ってないから題材探しには苦労するのよ。

以前フランソワがゴッホを擬えて
私にもテオが必要だと言ってたけど
そういう人ができちゃったわ。。

あまりにも急に物事が展開するので
気持ちが置いて行かれそう。
書くことと描くことは
私を構成する両輪のようなものだと思ってたけど
これが本当にもう1つの仕事になったんだね。

なんか不思議。



17 septembre 2020


3年前に96歳で亡くなった
評論家で小説家の犬養道子さんが
戦後間もなくNYに留学したときの話。

日本が敗戦したばかりの頃ですから
彼女は人種差別やいじめに遭い
栄養失調から重症の肺結核になってしまいます。

「モンロビアに設備の整った療養所があるので
そこへ行きなさい」と医師に勧められますが
まだ飛行機の発達していない時代。
NYからモンロビアまでは
特急列車で5日もかかる距離でした。

当時汽車賃さえなかった彼女は
知人や留学生仲間にカンパしてもらい
なんとか列車に乗るお金を集めましたが
食費は3日分がやっとでした。

車中では発熱と嘔吐で
満足に食事もできませんでしたが
それでも3日でお金は尽きてしまいます。

最後に残ったお金を出して車掌にジュースを頼むと
「あなたは重病ですね」と聞かれました。
「結核に罹ってモンロビアへ行く途中ですが
そこまでいけば命が助かるかもしれないんです」
事情を話すと車掌はジュースを持って来て
「ジュースを飲んで元気になりなさい。
きっと助かる」と言いました。

翌日、車掌がやってきて
「これは私からのプレゼントだ。
飲んで食べて早く元気になりなさい」
とジュースとサンドイッチを渡してくれました。

4日目、車内放送が流れました。
「乗客のみなさま、
この列車には重病の女子留学生が乗っています。
ワシントンの鉄道省に電報を打ち
会議をしてもらった結果、
モンロビアで臨時停車することになりました」
それは新幹線を臨時停車させるようなものでした。

モンロビアで列車が止まり彼女が駅に降りると
なんと車椅子を持った看護婦さんたちが
数人待機していました。

車椅子に乗せてもらい移動しようとすると
何やら列車がざわざわしています。
振り返ると、1等車から3等車までの
窓という窓からアメリカ人の乗客が身を乗り出し
何かを叫んでいます。

「死んでは行けない。
きっと助かるから安心しなさい」
「人の声が聞きたくなったら
私のところに電話をかけてきなさい」
「手紙を書きなさい。
寂しかったらいつでもいいから」

そして名刺や連絡先を描いた紙きれに
ドル札を挟んだものが
紙吹雪のように投げられていたのです。

結局彼女は3年間入院しましたが
その間、毎週毎週見知らぬアメリカ人が
お見舞いに来てくれました。

いよいよ退院の日を迎え
3年分の膨大な治療費を払おうとすると
乗客の中の1人のお金持ちが
既に全額払ってくれた後でした。
............................

戦後すぐのアメリカで
敵国だった日本の留学生に対して
こんなに大勢の人が優しくしてくれたなんて
すごいよね、感動的だよね。